2017/08
≪07  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31   09≫
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012年1月6日 午後10時47分
この間辛いことがあったって書きましたが・・・
祖父が亡くなりました。

私が小学校を卒業するころから体調を崩し、去年の8月に入院してからずっと会っていませんでした。

入院前以来久しぶりに会った、12月12日。
母と二人で会いに行きました。病院は祖父母の住む街の2つ隣の駅。
4か月ぶりに会ったおじいちゃんは、確かに痩せてしまってはいたけど、話もするし、思っていたよりずっと元気でした。
でも、いつどうなるかは分からないと思った私は出来るだけ会いに行くと決め、12月26日、1人で会いに行きました。

母と会いに行った日に、甘いものが食べたいと言っていたので、プリンを作って行って。
あっという間に食べてくれました。
そして、今まで中々会えなかった分、色んなことを話しました。
最近の私のことを、沢山。色んな所に行って、色んな人に出会って、沢山のことを経験して、友達に恵まれて、幸せなんだよって。

話下手な私の支離滅裂な話をずっと聞いててくれました。

「この間友達とクリスマスパーティーして、お昼作って行ったら喜んでもらえてうれしかった!」
「部活最後の文化祭で、賞とったんだよ!」
「夏休みにカナダで見た星がすっごく綺麗で・・・」
「明日はまた好きなバンドのライブに行くんだよ。最終日!」
「来年はまた夏のライブにも行くつもりだから、今度は富士山の写真撮って見せに来るからね!」
「今度は修学旅行もあるから、たくさんお土産話するね。」

充実していた去年の一年間の話と、これからのことをずっと。

いつからだったか、別れ際に握手をするのが習慣になってた。
この日はいつもより少し長く、強い握手だったのを、私の右手が覚えています。

12月30日
この日は父方の同い年の従妹が遊びに来ていました。
カラオケに居ると、母からメールが。
「今日は向こうに泊まるから夕飯お願いね」

嫌な予感しかしなかった。

帰ってきたお母さんによると、あまり体調がよくないらしく、でも今すぐどうこうって訳ではないようだった。
それでも私の嫌な予感は消えなかった。

1月1日
元旦は毎年祖父母と従妹家族と過ごす。
この日は病院に寄ってから祖父母家へ行く流れでした。
一週間も経っていないはずなのに、おじいちゃんは一回り小さくなってしまった感じで、呼吸も苦しそうで、何も話せなかった。
でも、私がいつものようにいろんな話をすると、相槌を打つかのように反応してくれた。
別れ際に、おじいちゃんは何かを言おうとしていた。
でも聞きとれなくて、お母さんと必死に耳を寄せて聞きとろうとしたけど、それでも何を言っていたのか分からなかった。

最後に病室を出るとき、不安と嫌な予感が消えなくて、それを振り払うように言いました。
自分のこの言葉が現実となるように祈りを込めて。

「今年もよろしくね」

おじいちゃんは、うれしそうに笑ってくれました。


1月6日
この日はお母さんが、祖母と叔母と一緒にお見舞いに行きました。

私は特に予定も無かったけど、行きませんでした。
夕方帰って来たお母さんに「おかえり」を言う前におじいちゃんの様子を聞くと、「安定してたから大丈夫だよ」って言ってて、安心しました。

その夜、私は音楽かけて歌いながら勉強していました。
時計を見るともうすぐ11時、お風呂入ろうかな。なんて思っていたら、只ならぬ様子のお母さんが何か言いながら部屋に入って来て。
最初は五月蝿いのを怒られるのかと思った。いつも何も言われないけど、疲れてるときだから気に障ったのだろうか。
そんなことを思って身構えてたら、お母さんが「ごめんね」って泣いてました。

「今日連れていかなくてごめんね」って

この先は、言われなくても分かってしまった。

放心状態の私に「今から病院行くから準備して」と告げてお母さんは部屋から出た。
隣の部屋に居た妹が固まる私に恐る恐る近づいて「どうしたの?」って聞いてきたとたん、スイッチが入ったみたいに涙が溢れて 嘘だとか訳分かんないとか、そんなことをうわごとみたいに繰り返していました。

病院に着いたのは午前0時過ぎ。その後葬儀屋さんに連絡したり色々あったんだけど、私はとにかく遺体から中々離れなかったこと、お父さんがフラフラな私の手をしっかり握ってくれたこと、車から見えた青白い街灯と満月になり損なった月の光が妙に明るかったことしか覚えてない。



この日は、眠れなかった。



おじいちゃんは私の一番の理解者で、一番好きな人だった。
幼稚園に入る前、祖父母の家には「お母さんそんなに何回も実家に帰ってよく怒られないよね」ってくらい頻繁に遊びに行ってました。
遊びに行くと、いつも私の好きなチョコパイが買ってあって。
私を自転車の後ろに乗せてイトーヨーカドーに連れて行ってくれて。
一緒にラーメンとかたこ焼きとかアイスとか食べて。
今はもう入れないけど、近所の小学校の校庭で遊んだりして。
祖父母の家で飼ってた愛犬の散歩に一緒に行ったり、この3人でマリービスケット食べたり。

書ききれないくらい思い出がたくさんある。
思い出すたびにそれを噛みしめて、忘れないように大事に大事に仕舞い込む。
忘れてしまったら、私の中心が空っぽになっちゃうから。


10日と11日、お通夜と告別式があった。
手紙を書いたので、火葬するときに一緒に入れてもらった。
火葬場の前でのお焼香が終わったあと、体中の水分が無くなるくらい泣いた。
周りに誰か居るのに、真っ暗な中で一人ぼっちになったみたいな感覚がして、迷子になった子供みたいに泣きじゃくった。


あれからもう二週間が経つ。
しばらくは眠ることも食べることも放棄していました。
とくに眠ることは、自分の体が限界を訴えて睡魔に負けるまで出来なかった。

今は少し落ち着いてきています。
と言っても、勉強のリズム、食欲、感情が不安定で、まだ完全復活には程遠い気がするけど。

でも何とか普通の生活を送れているのは、友達や先生にもらった言葉のお陰で・・・

告別式の次の日、学校で泣きました。
何とかいつも通りに笑ってやり過ごそう。そう思ってたけど、友達がずっと心配してくれてて。
放課後、ある友人に打ち明けました。おじいちゃんのこと、家にいると寂しくて誰かと電話で話したかったけど、忙しいかなとか考えると誰にも話せなかったこと、最後の日に行かなかったことの後悔、ずっと眠れないこと。

話して楽になった。泣いてるときにそばに居た他の何人かの子には、メールで話した。
(あと2人メールしようと思った子がいたけど、ブログ知ってるから、いいかな)

一人でいるとどうしてもふさぎ込んでしまう私にとっては、毎日いろんな話で一緒に笑ってくれて、落ち込んでる時に心配してくれる友人たちの存在が本当に有難い。

その次の日、ほっとしたのか体に疲れが一気に出た。
経験したことのない頭痛と眩暈。あまりに酷かったので、一時間目から保健室へ行った。
保健室の先生にも色々話して、そこからすぐに眠った。
目が覚めると3時間目が始まったころの時間でビックリしたけど、お陰で午後はフラフラながらも部活まで無事に終われました。


私はこれから生きていくのが怖い。
どんなに大切な人でも、流星群だとか神様だとかにどんなに祈っても、いつかは別れが来てしまう。
家族に、友達に、好きなアーティストに、それをきっかけに出会った人たちに・・・大切な人が多すぎて、これから先誰か一人でも欠けたらと思うと辛くてつらくてしょうがない。

でも生きるのを辞める訳には行かないから。
約束しました。いつかまた会えたとき、自分が生きてきた日々のお土産話をするよって。
だから毎日が宝物になるように、悔いのないように生きて行きたい。

なんて言っても、まだまだ不安定で。実行できて無いけど。

夜寝る前は明日が怖い。多分私はこれからずっとそうだと思います。
だけど同時に「今日の1日も大事な宝物になった」と思えるような生き方ができるようになりたいなんて思ったりする今日この頃です。




最後に

今まで生きていてくれてありがとう
沢山可愛がってくれてありがとう
私はおじいちゃんの孫に生まれて幸せだった
これからも幸せだよ
次に会える日を楽しみに生きて行きます

またね。

スポンサーサイト
Secret
(非公開コメント受付中)

こんなにおじいちゃん思いの孫を持っておじいちゃん幸せだね。
私はお父さんのお母さん、おばあが死んでしまった日にはもうどうにもこうにもならないな。。苦笑)
たまに考えてしまうんだよね。誰かを嫌いになったり、イライラして会いたくなくなったり・・そういうときに、やっぱりさ、会いたくないなんて・・嫌なんだよね。
私弟とけんかして、弟なんかいなきゃいいのに・・とか思うときあるけどさ。弟がもし私より先に・・とか考えたとき泣いちゃうんだよね。笑)
やっぱり家族ってさ・・友達もだけど、好きな人が死んでしまうって、こんな悲しいことはないよね。私のお母さんも去年の夏に弟が死んでしまって・・母さんが突然泣き出したから私びっくりしちゃって・・何があったのか全然分かんなくて・・人が死んでしまうって、誰にも止めることのできない自然の法則だよね。でも、おじいちゃんは曇天ちゃんのこといつも見てるよ。そして話を聞いてるよ。だって本当におじいちゃんはいなくなった訳ではないんだよね。ただ、肉体がなくなってしまっただけで、曇天ちゃんの心の中ではずっと生きてるんだよね。
っていったって、実際におじいちゃんの声を聞けるわけではないけど・・
曇天ちゃん、生きてね。おじいちゃんの分まで。
自分の幸せの分を。
私もすぐ死にたいとか思ってしまうけど、頑張るよ。
生きるって、大変だよね。良いことも悪いこともあるし・・だけど、きっとみんな頑張れば幸せになれると思う!・・というか思いたい!!
曇天ちゃんが幸せに過ごせますように。(^^)

文章めちゃくちゃでごめんね。(_ _;)

いつもありがとう。
Re: タイトルなし
てこさん>>
ありがとうございます・・・!
今度四十九日でお墓に行きます。
その時には「辛いけどもう大丈夫だよ」って言えるようになって居たらいいな・・・。

「いつ誰がどうなるか分からない」っていうことを心から理解しました。
周りの人も自分のことも、大切にして生きて行きたいです。
曇天ちゃん、ごめん。
無理に聞いちゃった感じで・・・・。

おじいちゃん子だったんだね。

今までいた人が、いなくなってしまうって本当に寂しいよね。何で・・・って、どうして!って。
私も去年の夏に同じ経験をしてるから、すごく良く分かります。あの時は泣いてばかりいた。本当に辛かった・・・。今でも、1人でいると、思い出して、泣いてしまいます・・・・。
曇天ちゃんにとっては、親近者だからなおさらだよね・・・。思い出がたくさんありすぎて、悲しみも人一倍だと思う。

でもね、そうなる前にプリンを差し入れしたり、
おじいちゃんといっぱい話して過ごせる事ができたから、まだ良かったと思うよ。
その時間は、おじいちゃんも曇天ちゃんも笑顔でいられたんだもの。

今はまだとても辛いと思います。

でも、死んだ人の分まで、私はせいいっぱい生きようと思う。それは、いつどこで終わるかしれないけれど、残された者は、乗り越えていくしかないのです。

時間はかかるけれどね。

ダイジョウブだよ。
はじめまして、曇天0603さん。
りんといいます。
SHUさんやPaseriさんのブログでお名前拝見してから、
ときどきブログをのぞかせてもらってました。
今日、久しぶりにブログをみて、この記事をみて、涙が
止まりませんでした。
私もそれほど多くの大事な人の死を経験していませんが、
曇天さんの死の受け止め方は、すてきだと思いました。
表現が適切でなかったらごめんなさい。

最後になりましたが、これからもお邪魔させていただきます。
よろしくお願いします。
Re: タイトルなし
hisaeさん>>
いえいえ、心配してくださって本当にありがとうございましたm(_ _)m
あの時のコメントにほっとしてました。

おじいちゃん子でした。
最後の日に行かかなったことは一生の後悔です。
だけど、あの日プリン持って会いに行って沢山話したことは、一生忘れない大切な一日です。


Re: タイトルなし
りんさん>>
はじめまして、コメントありがとうございます。

そう言って頂けると、これから自分がどう生きるかって考えに自信が持てます。
ありがとうございますm(__)m

是非またいらしてください!
プロフィール

曇天0603

Author:曇天0603
音楽と漫画と下らない日常を愛する女子大生。

当ブログはそんな私の人生放浪記であります

スピッツ,スカパラ,フジファブリックが生きる糧ですが、他にも沢山あるので詳しいことは一番上の記事からドウゾ!
ライブ参戦後に書いたレポ記事のリンクも貼ってありますよ(小声)←

気が合いそうだと思ったそこのアナタ、コメント大歓迎です!←

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。